セザンヌは自然をこう視た 18.『リンゴとオレンジ』は安定しているか、不安定か
前の回は『リンゴとオレンジ』を話し始めたとたん、時間切れとなってしまった。 まずはこの作品を、セザンヌの眼前に…
続きを読む →前の回は『リンゴとオレンジ』を話し始めたとたん、時間切れとなってしまった。 まずはこの作品を、セザンヌの眼前に…
続きを読む →「部分」的な眼差しの表現か。あるいは、「全体」観の構築性の表現か。否、それら正反対の要素が“拮抗している状態”…
続きを読む →当初すぐ終えるつもりでいたこのエッセイも、ずいぶんと長い道のりを歩くこととなってしまった。 ここ4、5回は、い…
続きを読む →セザンヌ作品の空間のつくり方。その特異性について、「部分」と「全体」の有機的な必然性の探求(=「部分」と「全体…
続きを読む →『曲がり道』を見ながら、セザンヌが“「部分」と「全体」との有機的な必然性を求めて絵を描いた”意味を考えてきた。…
続きを読む →セザンヌの風景作品のなかに、「道シリーズ」というのがある。 たとえば、上の「曲がり道」をみると、何とも愛くるし…
続きを読む →僕たちが、「能動的」にものを視、“愛(め)でる”とき。それは、探し物をするときばかりではないはずだ。 たとえば…
続きを読む →僕たちが“眼を皿のようにして”ものを見つめるのはどんな時だろうか。 画集でしか見ることが叶わなかった作品のオ…
続きを読む →「描かれるモノは崇高なテーマなんかでなくていい。視ること自体が感動的なのだ」とでも言っているかのようなセザンヌ…
続きを読む →前のページでは、対象を「全体」から捉えようとするための訓練がデッサンを学ぶ目的のひとつであるとすれば、対象を「…
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