セザンヌは自然をこう視た 41.池に浮かぶ蓮の花や葉の意味

モネ 日没

彫刻学生 「だから何ナノ? じゃぁ聞くが、かなりシッカリ『睡蓮』の花や葉っぱがかかれているのはどうして? 柳の影なんかもあったりするんだぜ。画面に『均質化』やら、『中心になるモティーフの喪失』とかを求めていただけだったら説明がつかんだろう!」

画学生   「あれは、単なる“アクセント”ちゃう? 画面が大きぅなって絵が抽象化したもんやから、必要になったちゅうことや」

彫刻学生 「抽象化されて、漠然としてしまった画面に、眼線の“とっかかり”を求めただけってことか?」

画学生   「絵に入りやすぅするための、“小道具”ってとこやな!」

彫刻学生 「馬鹿を言うな! 俺はむしろ、この花や葉に、画家の思い入れを感じてるんだぞ!」

画学生    「!?」                                    

彫刻学生 「あれは、俺に言わせれば、“光の大海原”に船を漕ぎ出した“モネ自身”の姿さ」

画学生   「?」

彫刻学生 「さっきお前が言ったとおり、水面という平面世界は“虚の世界”、まさしくモネの仕事そのもの、モネの象徴だろ」

画学生   「そうや」

彫刻学生 「だったら、水面は、モネをとりまく“現象”としての世界そのものでもあるわけだ。だから、そこに咲いた小さな『睡蓮』の花は、自らの仕事へのオマージュにすら見えてくるというわけ!」

画学生   「ふん、上手いこと言うな、お前……」

モネ 朝

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