セザンヌは自然をこう視た 58.セザンヌの『水浴図』の特徴

大水浴図 1900-05

さて、話を水浴図に移そう。

この話をするために、ずいぶん長い旅をしてきた気がする。

裸の人間たちが自然のなかで水浴を楽しむというモティーフ ―水浴の図は、ギリシア神話の一場面をどこか連想させる、なんとも長閑なイメージである。

セザンヌの水浴図は、晩年だけでなく、わりと早くから描き続けられたテーマだが、それらは女性群像と男性群像とに大別できる。少数ながら混浴群像もある。

若かりし頃の ―と言っても、30歳後半から40歳はじめくらいの頃の― 水浴図は、どこか木陰から少年が女たちを覗き見るような構図の“さり気なさ”があった。しかし、次第にそれが消え、芝居の舞台装置のようになってゆく点で、人工的な構成が目立ってくるが、これを進歩・前進とみるか、あるいは退歩・後退とみるか…。

さらに、(裸婦をはじめとする)モティーフをリアルに再現することが伝統的な水浴図の重要なポイントのひとつであったはずなのに ―以前みたルノワールの『大水浴図』でさえ、そうだった― セザンヌの絵は、最初から違っていた。むしろ、その“逆”をやっていることは明白だろう。

さて、女性水浴図と男性水浴図は、構成の仕方にやや違いがある。女性水浴図は、男性のそれと比べて、不思議なことに「三角形」の構成が多い。上の水浴図でも、何となく上の方が先すぼみになり、下の方が末広がりになっていく構成を感じるのではないだろうか? この絵を含め、晩年に筆を入れ続けた3枚の大きな水浴図(=『大水浴図』)はすべてそうなっている。

なぜそうなったのか?

簡単に答を言えば、“厳しさ”が必要だったのではあるまいか。(ここでもまた、例の“正反対のやり方で造形的な問題を解決する性癖”を思い起こしてほしい。) 

一般に、丸いかたちは尖ったかたちより人を和ませるものである。そして、女性のイメージは、一般にかたちも丸く、華やかで艶やかだ。しかも絵のテーマは、南国的な「自然と人間の融和」であり、人間の肉体や自然の神秘を礼賛し、その感情を開放するというテーマである。僕たちがそうした感情にしばし我を忘れ、その愉悦を再現したくなればなるほど、そこに別の造形感覚が欲しくなってくる、それが先ほど述べた“厳しさ”という意味なのだ。

これは、古代ギリシアのある時期の彫刻がきわめて写実的でありながら、高度に抽象的・幾何学的であるのと同様の感覚かもしれない。要するに、男性である画家にとって、モティーフが、甘美な香りをもたらす女性だからこそ、そこに厳しさを加味する必要があったと考えられる。

しかし、「三角形」である理由は、果たしてそれだけだろうか?

▶目次へ