セザンヌは自然をこう視た 64.ヴィクトワール山、描き方の変遷

サント・ヴィクトワール山と切り通し 1867-70

3枚の『大水浴図』に認められた「三角形」。その「かたち」が、どのように晩年の他のセザンヌにも認められ得るか?

例えば晩年の肖像画シリーズは、ここに改めて示すまでもなく、そのほとんどが、頭部が頂点となり、首から下へ末広がりになる「三角形」の構図である。数回にわたり詳しくみてきた肖像画のいくつかも、そうだった。

勿論、肖像画というのは全てそうした構図になりがちであり、つまりここで重要な点は、晩年の彼が、(「三角形」の構図になりやすい)そうしたジャンルを ―水浴図やヴィクトワール山とともに― 好んで選び、取り組んだという事実である。

ヴィクトワール山シリーズにしても ―山のかたちは当然「三角形」なのだが― 最晩年と若い頃のものとでは興味深い違いがある。

左/サント・ヴィクトワール山 1885-87
右/シャ・ド・ブーファンのマロニエの並木 1885-87
左/サント・ヴィクトワール山 1890-94
右/ビベミュスから見たサント・ヴィクトワール山 1898-1900

ザッと見わたせば、例えば、(このページの最初の)30歳前後に描かれた『サント・ヴィクトワール山と切り通し』では、丘の家、切り通し、そしてヴィクトワール山、という3つの「三角形」が散在している構成。

40歳代後半に描かれた(すでに数回みてきた、上段左の)『サント・ヴィクトワール山』、これは、(その右に載せた)同じ頃に描かれた、並木のあいだから臨むヴィクトワール山と同様、近景の樹々が目立ち、ヴィクトワール山の「三角形」は、影になったり彼方に見えたり、というふうに ―それはそれで、大変に効果的な面白い出し方ではあるが― やはりストレートな出現が避けられている。

50歳代前半の(下段左の)『サント・ヴィクトワール山』では、山は(先ほどの2点よりもいっそう)樹と“対等”な関係として扱われ、さらに下って60歳前後になると、かなり明確に山の「三角形」が現れてきている(その右)。

駆け足ではあったが、こうして最晩年の、よりストレートかつダイレクトに山の「三角形」が見えてくるヴィクトワール山シリーズへと至っていくわけである。その代表的なもののいくつかは、すでにみた通りだ。

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