セザンヌは自然をこう視た 29.抽象画の終着駅

画学生 「一言で言えばやな、具象的な現実世界のしがらみから解放される爽快感、これや! まず前提としてやな、絵が“平ら”やからこそ、現実の空間から解放されるんとちゃう?」

彫刻学生 「ふん…。で、なんで『抽象』なの?」 

画学生 「ええか、よう聞けや。俺が高校時代のときや。自分の彼女をかいているときに思ったんや。この絵を見てくれた人は、はたして俺が彼女をかきながら感じたことと全く同じ想いを感じてくれるやろか、とね。」

彫刻学生 「…で?」

画学生 「とてつもない時間がたてば、彼女に感じた俺の感性、絵に込めた気持ちはすっかり時代遅れの色褪せたものになってしまうんちゃうかって…。そして、作品そのものがついに理解されなくなるんやないかという不安や。お前やったらわかるやろう、作品つくる人間なんやから。」

彫刻学生 「それって、技量の問題だろ?」

画学生 「そやない。才能や技術の問題とは別の、『具象』の限界というか。」

彫刻学生 「?」

画学生 「たとえば、現代に生きとらんかったら、その時着ていた彼女の服装のカッコよさも本当には伝わらんはずやろ! そして、この日本を知らんかったら……」

彫刻学生 「わかった! じゃあ、その娘を裸にすればいいじゃん?」

画学生 「アホ! そういう問題とちゃうわ! そもそもや、どんなに彼女の素晴らしさを絵に込めてみても、時と場所が変われば、彼女をかいた意味も作品への想いも百パーセント理解されんようになるし、伝わらんようになるっちゅうことや!!」

彫刻学生 「アホはお前! 百パーの理解なんて成り立つのか、そもそも作品に?」

画学生 「少なくとも、そこへ限りなく近づこうとすることはできるやろ。画家なんやから。それを求めるのは当然や。それが俺の場合は『抽象』やったってことや。」

彫刻学生 「誤解があっていいのさ、作品は! 謎や神秘が無ければ魅力も生まれない。生きた女と同じ…」

画学生 「あのな…俺の言いたいことは、そういうこととちゃうねん! ええか、よう聞け! 現実世界のあらゆる“具象的な意味合い”を取り除いて、“色とかたち”だけで攻めていけば、意味伝達の誤解も風化も生まれようがないってことや!」

絵を現実から完全に自律させ、見る者を現実の空間世界から解き放たれる喜びに誘なう―。なるほど、確かにあらゆる「抽象画」はそんな目的のためにかかれてきたのかもしれない。否、絵画が永年追い求めてきた、いつ辿り着くともわからない壮大な目的地だったのかも。

それにしても、画学生が展開した独自の理論も、結局は、(前々回の)20世紀の理屈とあまり違いがないのかな…。 そんなことを考えながら、僕は上り電車に乗ったのだった。

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