セザンヌは自然をこう視た 20.平面と空間の“綱引き”

今夜はセザンヌのもうひとつの傑作『赤いベストの少年 』をみていきたい。

赤いベストの少年 1890-95

まずは長い右腕が印象的。

絵にあまり興味のない人も、一眼でここに眼がゆくはず。

因みに、僕の好きな彫刻家で画家のアルベルト・ジャコメッティは、この「長い腕」について次のように言っている。「『赤いベストの少年 』の非常に長く見える腕はビザンティン絵画を思わせる。腕は長すぎる。しかし、どの絵画よりもこれこそが真実なのだ。」 ―とはいえ、なぜこんなにも腕が長くなったのか。

ジャコメッティ 立っている女Ⅳ 1960

(もともと長いのが好きな)ジャコメッティの言葉では、今ひとつ理由がわかりにくいかもしれない。そこで、僕なりの答を用意した。

答探しのポイントとして、今回は、「空間と平面」というエレメントに着目したい。

「空間性と平面性」が絵を考える上でのキーワードであることは、よく知っての通り。たしか『リンゴとオレンジ』について述べたときも、「不安定な“空間”」あるいは「安定した“平面”」というような言い方をしたような。要するに、僕らのような絵かきの言葉としては、空間性を「三次元的な奥行きの感覚」として捉え、平面性を「絵としての二次元的な平明性」として捉えている。

ところで、素朴に考えてみると、そもそもあらゆる(具象的な)絵画は「空間性」と「平面性」とを兼ねそなえているはず。というのも、絵画はもともと「平面」なのだし、そこに現実の具体物、つまり何らかのかたちで「空間」を描写する以上、絵というものが「空間」と「平面」とを共有しているのは当然だ。とすれば、これらが何故ことさら『赤いベストの少年 』を眺めるポイントになるのか…。

いや、そうではなく、これから述べようと思っているのは、そのふたつがこの絵のなかで単に“共有”されているということでなく、ふたつが絶妙に“拮抗”している状態についてなのだ。

『赤いベストの少年 』が、なぜ、「とても平面的でありながら、とても空間的」であるのか。それを究明することによって、上の「空間」と「平面」をめぐる絵画の伝統的な問題を、セザンヌがその時代、あらためて根本的に問い直した画家であることが明らかとなり、結果として、少年の「長い腕」の理由もハッキリしてくるだろう。

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