木俣創志 展 2008

  

  

コバヤシ画廊(東京) 2008 .12月
Kobayashi Gallery (Tokyo) 2008. December

  

  

コバヤシ画廊(東京) 2008 .12月
Kobayashi Gallery (Tokyo) 2008. December

  

  

木洩れ日08-I 2008 部分(コバヤシ画廊 2008)
Komorebi 08-I 2008 part(Kobayashi Gallery 2008)

  

  

木洩れ日08-III 2008 部分(コバヤシ画廊 2008)
Komorebi 08-III 2008 part(Kobayashi Gallery 2008)

  

  

木洩れ日08-VI 2008 部分(コバヤシ画廊 2008)
Komorebi 08-VI 2008 part(Kobayashi Gallery 2008)

  

  

木洩れ日08-II 2008 (コバヤシ画廊 2008)
Komorebi 08-II 2008 (Kobayashi Gallery 2008)

  

  

“描く”という行為がつくる曖昧な感性

“木漏れ日”シリーズでは,主に,シルクスクリーンとエアーブラシのふたつの技法を使用しています.

シルクスクリーンを使用しているのは,植物の形状をなるべくそのまま提示するためであり,エアーブラシを使用しているのは,太陽光の微妙な波動を表現するのに適しているからです.

何故そうなったか - それを今一度,自身の反省も込めて考えてみます.

シルクスクリーンはデジタル的,としばしば言われます.表現が本質的にall or nothingであり,いわゆる“地と図の関係”が明瞭となる点で,他の美術技法には求めにくい割り切りのよさを備えているからでしょう.

一方のエアーブラシは,絵筆などにはとうてい及ばぬデリケートなハーフトーンを可能とし,その意味で,(こちらはあまり語られませんが)大変にアナログ的な技法であると私自身は考えています.

そして,ふたつの技法に共通するのは「絵筆の痕跡を残さない」という特徴です.

今回の作品の一枚一枚は,いわば,そのふたつの技法の本質的な長所 - デジタル的要素とアナログ的要素の最良の部分 - を極限までおし進め,キャンヴァス上でブツケ合い,融合しようとする試みだったとみています.

その際,「絵筆」による表現が最小限となったことで,“描く”という行為がつくる曖昧な感性がきわめてクリアに削ぎ落とされました.勿論私にとっても,「絵筆」による表現(ストローク,タッチなど)は絵画の持つ最大の魅力のひとつですが,今回はそれを敢えて抑制し,それを消去したのちの残滓を提示できればと思いました.というより,モティーフがそうさせた,と言った方が正確でしょうか.

作品について尋ねられることの多い技法面についてあれこれ述べましたが,そんな理屈はともかく,“疲れた人々に癒しを与えるホテル”のような空間になればと願っています.

[2008.11.30]

  

  

コバヤシ画廊(東京) 2008 .12月
Kobayashi Gallery (Tokyo) 2008. December

▶Solo exhibition archive | 個展アーカイブ へ戻る