「三角形」というかたちには、「安定感」や「厳しさ」、「効率性」、「奥行き感」、「劇的効果」、「強度」… があるというような話だった。
類い稀なる「能動的な眼線」の持ち主たるセザンヌが、最晩年に、そのかたち「三角形」に辿り着いたとしても、それはきわめて自然なことではないだろうか。
彼自身、亡くなる数年前に「自然を、円筒、円錐、球として扱う」と述べているし、このなかに「三角形」(≒円錐)もあるではないか!と解釈することも当然できる。
しかしながら、画家の言葉は(筆者も含めて)当てにならない場合が多く、都合のいい言葉だけを引用するのは気がすすまないので、先ずはこれまで通り、“その作品”だけを判断の材料として話をすすめたい。(これについては、次回。)
例えば、ここに挙げた2枚の水浴図を比べてみてほしい。下の(早い時期に描かれた) 水浴図は、何か“まのび”した感じを与えるのだが、その下の後年の作品は引き締まった感じがしないだろうか?
とくに最晩年に筆を入れ続けた3枚の『大水浴図』では ―彼の作品としては異例の大きなサイズだが― 誰の眼にも、若い頃の水浴図よりハッキリ「三角形」が出現していることが判る。
さて、晩年の彼には、自身の不安・焦燥を解消し、そこからの救いと「安定」を求めて「三角形」を使い、一方で、その不安・焦燥にいっそうのリアリティーを与えるために「三角形」を“打ち消す”描画をしている様なところがある。僕は、画面にその両方が認められると、常々感じてきた 。
勿論、晩年にのみ「三角形」が使われている訳ではないのだが、その出現のさせ方・質が、以前と異なっているのだ。よりストレートに「三角形」を登場させ、よりダイレクトにそれを“打ち消し”、その両方を、ダイレクトかつストレートに繰り返している。
僕は、晩年のセザンヌを考える上でのひとつの重要な手がかりとして、「三角形」を提示したいのである。