セザンヌは自然をこう視た 26.絵を成立させるギリギリの要素

サント・ヴィクトワール山 1885-87

前のページでは、「抽象画」の武器とは何か?…ということだった。 

「抽象画」は、現実世界の具体的なイメージを想い起させるものがない。純粋に、平面上の、色・かたち・絵肌(マティエール・テクスチャー)・タッチ・ストローク(一筆による長めのタッチ)…などといった要素だけでできあがっている。これらの、色やかたちなど「絵をかたちづくる基本的な要素」を、これからは「絵の要素」と呼ぶことにしよう。

ところで、そもそも「絵の要素」は「具象画」にも備わっている。当たり前だ!と思うかもしれないが、「具象画」の場合は、「抽象画」を眺めるときのように、なかなかダイレクトには「絵の要素」に眼がゆかない。

というのも、「具象画」では、僕たちがふだん現実世界を眺めるときと同様、まずは具体的なイメージで ―たとえば、この絵には松の木や橋、あるいは傾きかけた陽の光がかかれている― という風に、まずは“レッテル”で眺めようとするからだ。

つまりは、前に話した「現実世界との対比」で眺めてしまう。それを無造作・無意識的・反射的にやってしまう。要するに「具象画」では、「絵の要素」は、多かれ少なかれ具体的な事象・事物をひきたてる脇役であって、主役でないわけだ。

ところが、「抽象画」では「絵の要素」が主役である。

何がかかれているかハッキリしない。それによって、逆に、色・かたち・テクスチャ―(絵肌)・タッチ・ストローク…といった諸々の要素、「絵の要素」だけがハッキリと浮かび上がり、そこに眼がゆく。これこそ「抽象画」の武器なのだ。

さて、こうしてみると、「具象画」では「現実世界との対比」が表現の前提、表現の核であり、それが「抽象画」との決定的な違いだった。一方、両者に共通しているもの、絵なら必ず備わっている性質とは、両者とも平面上の「絵の要素」でできあがっている点である。

…それにしても、なぜ「抽象」の画家たちは、「絵の要素」だけをことさらに注視したかったのだろうか…?

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