セザンヌは自然をこう視た 23.平面と空間の“喧嘩”

ひきつづき『赤いベストの少年』をみていきたい。

「平面」的な印象を与えるこの絵に奥行き感を表現するため、画家は、空気遠近法を強調する必要を感じた、というような話だった。

両腕の輪郭の表現の他にもいろいろある―

奥の壁に掛かる絵(orポスター?)をみてほしい。下の方だけ僅かに見えるやつだ。心もち、輪郭のコントラストが弱くかかれていることに気づく。

それから、少年の襟や、顔の(向かって)右上の壁の黒く太い線などを注目すると、いったんクッキリかかれた絵の具が、上から乱暴にぼかされていることにも気づく。

要するにこの絵では、左腕をはじめとして、部屋の遠くに位置するもののかたちが、あちこち意図的にぼかされ、それによって、空気の厚みを表現することに成功しているのである。

『赤いベストの少年』にみる空気遠近法の極端な強調、つまり、極端な奥行き感の強調ないし「空間」の強調によって、「平面」的であったはずの絵は「空間」をとり戻している。

このようして、「平面」的であればあるほど「空間」的、あるいは逆に、「空間」的であればあるほど「平面」的、というふうな絵が出来上がっていったわけである。

もっと言えば、こんな具合にしてセザンヌは、「平面」に「空間」を与え続けてきた絵画の伝統的な課題に対し、当時としては全く新しい独自の回答を試みることとなった。

さて、この『赤いベストの少年』にまつわる造形的な革新性や絵画的トリックについて、以上のようにあれこれ具体的に分析するのも大変面白いけれど、この辺で終わりとしたい。

と言うのも、恐らく、前回と今回述べてきた話は、すでにどこかで語られてきたにちがいないだろうし、このぶんでいくと、ますます先が果てしなくなりそう…。

それに、何より僕としては、この絵のなかで、「空間性」と「平面性」とが互いを主張しつつ、ときに“喧嘩”しながら、“アンビヴァレントに存在している”様を指摘できればよかったのだから。

赤いベストの少年 1890-95

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