セザンヌは自然をこう視た 67.初期作品に認められる“ひらめき”

城館の入口 1862-64

さて、突然ではあるが、ここで、セザンヌの最初期、20歳代前半の絵である『城館の入口』をみてみたい。かなり前に掲載された絵だ。

(じつは『サント・ヴィクトワール山とシャトー・ノワール』を前に載せたとき、すぐにこの最初期の絵の話をするはずだった…)

さて、この作品。

鬱蒼とした森、そして雲?とほぼ同じ彩度による空を背景として、「幾何学的」な建物が右下隅に見える。若きセザンヌが、この絵を、たどたどしくも慎重に大真面目に描いている姿が眼に浮かぶ。『大水浴図』で描かれていた大きな空、そんな広い空にも通じる空間の“間取り”が何とも印象的。

さて、ここでも、前回の『サント・ヴィクトワール山とシャトー・ノワール』と同様、蛇足ともとれるこの「城館」の描き込まれ方、構図の唐突さは違和感があり、僕たちは、これをどのように解釈したらよいのか戸惑う。この“不器用”な建物の描き込みさえなければ、最初期にもかかわらず、通好みの、洗練された筆遣いの、立派な作品に見えてしまうからである。

しかし、冷静に考えてみれば、こういう観方は ―20世紀の強靭な画面を誇る「抽象画」の洗礼を受けた後の― 僕たちに特有の感性によるものではないか? つまり、もしここに「城館」が無ければ、森と雲の(不思議な)形状の際立つ絵となり、(フラットさの強調された)「抽象画」の世界に著しく近づくからである。

逆に言えば、この「城館」の存在があればこそ、「有機的」な森や雲と空の表現に対して、凛とした「幾何学的」な建物が心地よいコントラストをかたちづくり、結果、劇的な効果が高まり、絵に奥行きと深みが生じているとも考えられる。

いずれにしても、天才的閃きのひとかけらもないようにみえるごく最初期の作品に、最晩年の『サント・ヴィクトワール山とシャトー・ノワール』で追究されたのとほぼ同質の造形上の興味が、きわめてストレートかつナイーブに表現されていることにあらためて驚き、深い感慨をおぼえるのである。

サント・ヴィクトワール山とシャトー・ノワール 1904-06

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