セザンヌは自然をこう視た 51.造形性と物語性

セザンヌの魅力の本質は、反対感情の緊密な共生、反対要素が共存する必然性とその有り様を、その類い稀なる手腕でダイレクトに取り出して示す表現力であり、言い換えれば、描かれた対象の全体がどのように彼の手によって隙間なく統合されているかの妙である、というような話をしてきた。

ロザリオの女 1896頃

そしてそれは、ある意味で、最も“非20世紀的”な感覚に由来するものだった。

それこそまさに、今後21世紀の美術に一定の指針を与えていくべきセザンヌ像ではないか、そんな風にも考えられる。セザンヌを理解するとは、彼と同じ地平に立つことである。少なくとも、20世紀に花開いた美術をあてにするより、彼以前の美術を遡ることの方が遥かに有益だろう。

さて、何やら結論めいた話になってしまったが、このエッセイで僕が言いたかったことの本題はこれからだ。 僕たちはこれまで、セザンヌの絵から様々な「アンビヴァレンス」、「反対要素の両立」を取り出してきた。

すなわち、「安定感」と「不安定感」、「平面性」と「空間性(奥行き)」、「抽象」と「具象」、「均質」性と「スポット」性…。恐らく他にも、もっと色々な切り口があるはずなのだが、そのひとつ一つの発見と検証は、今後、読者に任せるとして、最後にもうひとつ、これからの話のためにも、どうしても指摘しなければならないアンビヴァレンスがある。

ヴァリエの肖像 1905-06

ふたたび暴論を吐くことになるかもしれないのだが、セザンヌの「アンビヴァレントな感覚」の表現のなかでも、最も重要かつ見過ごされてきたもの、それをこれから書きとどめたいと思う。

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