木俣創志 作品集 |KIMATA SOUSHI WORKS

セザンヌは自然をこう視た 71.ヴィクトワール山、わかりにくさの理由

モンドリアン ショウガ壺のある静物 Ⅰ  1911

「抽象画」の創始者のひとり、ピエト・モンドリアン。

彼の『リンゴの木』や『生姜壺のある静物』シリーズに示された抽象化のプロセスは、具体的なモティーフが次第に独自のスタイルへ変貌をとげる様子がきわめて明解に表現されている。こうしたリニアな変遷が、創作の赤裸々な有り様を語るうえで真に説得力を持つか否かは別としても、デモンストレーションとしての明快さを持ち得ることは確かだ。

その点、セザンヌ最晩年のヴィクトワール山シリーズでモティーフ全てが抽象化されるプロセスには、シンプルにはなっていくものの、何か“解りにくさ”がある。そして、にもかかわらず、何かがグイグイとこころに迫ってくる。

なぜか?

その主な理由は、そこに、画家の血なまぐさいほどの戦いがあったからではないか。―空気、木々、そして(恐らく彼自身を投影した)ヴィクトワール山さえ、強靭な平面へと還元され、“物”と化す抗いようのない誘惑と、その誘惑に対するギリギリの抵抗・戦いが繰り広げられる戦場。

僕には、ヴィクトワール山シリーズがそんな絵に見える。このシリーズは、そうした“戦い”が感動の主な源であり、同時に、(抽象化していくプロセスの)“解りにくさ”の大きな要因でもあるのではないか。

彼は、“抽象化”に向かっていく自身の方向、その変化、留めようのない歴史の歯車を強く感じながらも、抽象化が単なる“物化”に終わらぬよう、そこに“生命”を吹き込むべく、様々な抵抗をする。自身の制作が、単なる“物化”になってしまいそうな価値観、スタイルを相対化するために、ありとあらゆる人間臭い“戦い”を試みている。

自身のマニエラ(=癖のある筆跡)を強調するやり方も、彼なりの抵抗の現れだったのかもしれないし、「能動的な眼線」の収斂する「スポット」を画面に設けたり、絵に無限の「奥行き」感を強調したり、というのも、そのひとつ一つだったのだろう。

そして、抽象化の進んだ画面に、具象的な「シャトー・ノワール」を描いたのも、そうした“戦い”の現れだったのではないかと考える。

次回は、蛇足ともとれる「シャトー・ノワール」に注目し、この建物の果たす役割りをもう少し考えたい。

モンドリアン ショウガ壺のある静物 Ⅱ 1912

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