木俣創志 作品集 |KIMATA SOUSHI WORKS

セザンヌは自然をこう視た 66.シャトー・ノワールが描き込まれた理由

サント・ヴィクトワール山とシャトー・ノワール 1904-06

それらサント・ヴィクトワール山のなかで、とくに僕が注眼しているのは、以前にも見せたシャトー・ノワール(建物)が描きこまれているものだ。

セザンヌは、このモティーフで油彩画と水彩画とをそれぞれ1点ずつのこした。(油彩画の方は、嬉しいことに、都内のブリヂストン美術館でいつでも見ることができる。)

ここで眼をひくのは、やはりポツンと描きこまれているオレンジに輝く建物、シャトー・ノワールである。この“壁の輝き”は、先日みた『庭師』に登場した“白い壁”と何かムードが似ている。              

それにしても、色もかたちも単純化の推し進められたヴィクトワール山。近景の木々は空気に溶け込み平面化され、「抽象化」がゆき着いた様子は言わずもがな、といったところだろうか。晩年のヴィクトワール山シリーズでは、具体的な“説明”がすっかり削ぎ落とされているという話を以前したが、にもかかわらず、セザンヌはここで、蛇足とも思えるようなこの建物をなぜ描きこんだのか? 

すでにみた「眼線の収斂するスポット」だから、という理由もひとつの答ではある。あるいは、ヴィクトワール山とシャトー・ノワールとの距離感を強調し、広大無辺の奥行き感を出したかったから、というのもひとつの答にちがいない。

しかし、セザンヌの芸術を考えるとき、わけても晩年の彼を考える場合、そうした説明だけではどうも不十分ではないか? そこで、ここでひとつの全く別の切り口による答を用意した。―つまり、シャトー・ノワールもまた、「三角形」を“打ち消す”ための、ひとつのエレメントだったという回答である。

―どういうことか?

この絵に、仮りにこのオレンジの建物が無かったとしたら、僕たちは、即座にこの絵が現実の具体的な風景であると判断することが難しくなる。著しく「抽象画」に近づいてしまうためだ。セザンヌの時代であれば、尚更である。(ここに載せたCGを見てほしい)

シャトー・ノワールを消した場合

さらに、この画像に漂う寒々とした空気…。その点、シャトー・ノワールは建物であるせいか、人の気配を感じさせる。これによって、(「抽象画」という)人間不在の深海に突如投げ込まれたかの様な不安から、辛うじて逃れることができるという訳である。

どんなに抽象化が進もうと、セザンヌは飽くまでAOタイプのA型であり、つまり彼は、厳しい「抽象画」の世界、大変クールな「三角形」の世界を“打ち消し”、破綻をもたらすためにシャトー・ノワールを必要としたのだと、そんなふうに僕には感じられるのである。

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