セザンヌの「アンビヴァレントな感覚」の表現のなかで、最も重要かつ見過ごされてきたもの、これこそ、「造形性」と「テーマ性」のアンビヴァレンスではないかと考える。
「テーマ性」を、「文学性」、「物語性」と言い換えてもいいのかもしれないが、「文学性」、「物語性」となると、示す範囲が限定されてしまう恐れもある。そこで、ことセザンヌの場合、しばらくは「テーマ性」という言葉を使いたい。
ところで、ではそもそも、絵における「テーマ性」、「文学性」とは何か? 厳密に定義しようとすれば、これは「造形性」や「音楽性」などという言葉と同様、大変に難しい。
例えば、19世紀末 ―印象派、ポスト印象派が活躍した時代に― 「象徴派」(=「世紀末美術」)と呼ばれる人たちが現れ、彼らムンク、クリムト、ビアズリー等は印象派と比べて“文学的”と言われる。 (そう言えば、このエッセイで“他との比較”によってこそ、その本質・真意が明瞭になるという主旨の話をしたばかりだ…。)
印象派・ポスト印象派の流れが、どちらかと言えば、いわゆる人間の“外の世界”の描写に優れた成果をみせたのに対し、「象徴派」は“内の世界”の表現に優れた成果を示し、そのふたつの流れが美術界を補完し合い、車輪の両輪として19世紀末から20世紀はじめ辺りまでの新しい美術の流れをかたちづくってきたとされる。
だからだろうか。これまでの大雑把な見方によれば、セザンヌは「象徴派」とは異なる美術の流れに位置し、もっと言えば、絵画から文学的・物語的な「テーマ性」を廃して「純粋に造形化」したと考えられている。しかしこれは、こうした歴史の文脈を“勉強”した人々、あるいはモダニストたちによる(20世紀的な)誤解に過ぎないのではあるまいか。
僕のみるところ、セザンヌはいわゆる絵の「テーマ性」を排除したわけではない。“別の方法”で再構築・再編し、人間臭ただよう絵を描いたとみた方が自然なのである。
簡単に言えば、セザンヌは、それまでの絵画における「テーマ性」である宗教、神話、歴史、文学などといった当時の伝統的な教養がなくとも、充分に楽しめる「文学的」な絵、テーマ性に満ちた絵を描いたからだ。しかし、それは至極「造形的」なコミュニケーションを通じてでなければ、その内容に到達できないというような「テーマ性」なのである。
音楽の主流がオペラからシンフォニーに移行したとしても、テーマ性が失われたことにはならなかったのと同様である。シンフォニーは“音による劇”となり、音楽の近代化は標題楽化をもたらした、という観方すらあるではないか。
話が横道に逸れるので、元に戻したい。
僕には、彼の作品が「造形的」になっていけばゆくほど、ますます内容豊かな「テーマ性」を燃焼させ熟成させているようにみえる。そして逆に、彼の作品が、晩年になるにつれ、より内容豊かな「テーマ性」を ―勿論「象徴派」とは異なる方法で― 熟成させればさせるほど「造形的」冒険が著しくなっていくようにみえる。そして、晩年の代表作すべてに、このことは当てはまる。
と言うより、そう仮定しなければ、晩年の水浴図シリーズなど描かない方が良かった、ということにもなりかねない。「何故あんな作品を…?」という“目利き”や美術家に、実際、数多く出会う。 優れたアーティストは、常に危うくきわどいゾーンを冒険したがるのだが、最も注目すべきセザンヌにおけるアンビヴァレンスは、この点である。
以上の仮説を念頭におき、これから彼の最晩年の主要なジャンル ―肖像画、水浴図、そして再びヴィクトワール山― の各シリーズをみていきたい。