木俣創志 作品集 |KIMATA SOUSHI WORKS

セザンヌは自然をこう視た 27.2人の美大生の会話

JR取手駅のホームで電車を待っていると、美大生と思しき人たちのこんな話が聞こえてきた……

彫刻学生 「なんでお前、抽象やってんだよ?」

画学生 「やりたいからや、それだけや!」

彫刻学生 「それじゃ理由にならんだろう、今どきは。」

画学生 「そうか? お前みたいなヌードの彫刻家にはわからんかもしれんけどな、“絵の命”というのは平らであることなんや、平べったさや!」

彫刻学生 「それと抽象画がどう関係すんの? ……けどそういえば、マネも平べったくかいているし、モネも、しまいにゃ水面をかくようになる。ゴーギャンだってセザンヌだって、どことなく平べったいし……」

画学生 「ゴッホが浮世絵を好きだったのは、明るい平べったさのせいや……そもそも絵は平面やろ! 絵の命、“絵らしさ”を追求するゆうことは、“平べったさ”を追っかけることやから、それを突き詰めていくとな、最後にはすべての空間表現を棄てたくなってくるんや。」

彫刻学生 「具象でなくなるわけ……」

画学生 「そうなっていかざるをえんちゅうことやな。絵の平面性を強めていけば、古い奴ら、具象画の連中よりも“絵らしい絵”ができていくっちゅうわけや!」

彫刻学生 「絵が平らであることの自覚と強調ね……どっかで聞いたよ。でも、それって20世紀の考えだろ! …古いのは、お前の方なんじゃないか?」

画学生 「そうかなあ?」

彫刻学生 「じゃあ、かきたいものが現実にあって、それがきっかけで絵を始めた人はどうなっちゃうの? 平べったいことが“絵らしい”ことだったら、かきたいもん犠牲にしても抽象にすすまなけりゃいけないの?」

画学生 「そんなこと、ないと思うけど……」

彫刻学生 「自分のやりたいことやるのがアートなんじゃない?だいたい理論や理屈ってのは他人のもんだろ。自分の理屈ってのは許せるが、お前の個性とその理論とは、とりあえず関係ないじゃん!」

画学生 「でも作品みるんと同じように、理論的なことをインプットしていくことも大切やろ、普遍性もたせなあかんちゅーか……」

彫刻学生 「ならもう一度聞くが、お前は“絵の平べったさ”を訴えるために絵をかき始めたのか?」

画学生 「……」

…さて、なぜ「抽象」の画家たちは、ことさらに平面上の「絵の要素」のみを注視したがるか。その歴史的な意味は、この美大生たちの会話に明瞭に示されていたのではなかろうか。

それにしても、やり込められてしまったかのようにみえる画学生くん。ところがその後、彼の口から“なぜ自分は抽象か”について、素晴らしくもユニークな自説が展開されたのだ。

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