木俣創志 作品集 |KIMATA SOUSHI WORKS

セザンヌは自然をこう視た 17.『リンゴとオレンジ』の魅力と不思議

「部分」的な眼差しの表現か。あるいは、「全体」観の構築性の表現か。否、それら正反対の要素が“拮抗している状態”こそ、セザンヌの絵を楽しむ鍵だ、というような話をしてきた。

今日の話を手短かに言えば、そうした「相反する要素の拮抗」という彼の絵の特徴は、なにも「部分と全体」という切り口にのみ限ったことではない、ということだ。

彼の絵をつぶさに眺めれば眺めるほど、「相反する要素の拮抗」、言いかえれば、アン ビヴァレントな感覚の達成が、様々なエレメント、様々な切り口において誠実・確実に探求されていることを実感しないわけにいかない。僕の考えでは、セザンヌの魅力の根本的な要因はそこにある。

たとえば、今、こんな仮説を立ててみる。

セザンヌの絵では、造形上の“様々な相反する要素”が互いに拮抗し、アンビヴァレントな緊張を保持している、と。

実際、この仮説を彼の絵に当てはめてゆくと、大変面白い結果が得られる。

とりあえず、作品に即して、(厳格な)「安定感」と、(危うい)「不安定感」という対極のエレメントを例にとり、この仮説を実証すべく、有名な『リンゴとオレンジ』をみていきたい。

リンゴとオレンジ 1895-1900

古い話になるが、僕自身が初めてこの絵に眼を奪われたときの印象…

ともかく、静物(still life)と呼ぶことをためらうほどの、ダイナミックなかたちと色の饗宴。そして、白い、どこかギリシアの彫像を連想させるクロスに溢れんばかりのはちきれそうな果実たち。芳醇な果実酒の香り漂うグラスを片手に、気に入った古レコードでもかけて音楽に浸り切っているかのようなリズム感は、大変な説得力で人を酔わせる絵だ、と思った。

しかし、今はもっと冷静に、なぜこの作品がそういう効果を与えるか、その原因を探ってみたい。ただし、あれこれ注目していくと、こっちがあーだ、あっちがこーだ、花瓶がきれいだ…というふうにきりがないので、とくに一段と眼をひく果物たちが、なぜこぼれ落ちぬばかりの充実感あふれるダイナミズムで僕たちに迫ってくるか、その点に的をしぼりたい。

勿論、さっき述べたように、「安定感」と「不安定感」という正反対のエレメントが、絵のなかでどのように“拮抗した状態”をかたちづくっているかを軸にして考えながら要因を探りたい……のだが、気がつけば、その話をするスペースがない。

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